nichijouのブログ

らんらんら〜

正しいと適切のはざま

ここ1年近く、これまで当たり前にできたこと、良いとされていたこと、生きるためにしてきたことのほとんど全てが制限されています。

 

そんな中、それでも団結して明るい未来に繋げていこうとする国民性、とても感心すると共に、嫌なことに対して嫌だと言うこと、何も問題ないはずなのに、それが大した問題になってしまう。

 

好きな人達同士で集まること、好きなお店に行ってワイワイすること、クラブで踊ったりライブでモッシュしたり、カラオケで叫んだり。

 

生活を豊かにしたり潤いになる行為がほとんどダメになった。

 

まあ、今の環境としてこの制限を受け入れることは道徳的に正解で、人々が潤いを削ぎ落としてただただ生きるだけを選択する場合の道徳的な正解。

 

ただ、日本国民は健康で文化的な生活を送る権利を有しているはず。

 

こうなった今、この最低限度の生活がまかり通ることはあまりない。

 

これが、命か経済かの選択になるのだろうけど、良い塩梅で両立することはできないのだろうか。

 

もう少し前述の粒度に落とし込んで、命(健康)と生活の豊かさに焦点を当てるとどうだろうか。

豊かさを捨てると最低限度を割ることになるので、豊かさを保てる状態が生活であるとみなさなければいけない。

 

こう落とし込んでいくと、何かしらの案が多数出て来るはず。

いつまでたっても「命か経済か」の大きな枠組みの中で考えようとしているなら、ずっとどちらも選べずに時間が経つだけ。

 

どちらか選択するの難しいんだよ!って言うのはそりゃそうだってなるけど、どちらかを選ぶためにこう考えました。皆さんどうですか?

って発信があれば、団結して何か答えを出せる気がするんだけど、意固地になってるのか、ひたすら進める気がないのか全く進展がない。

 

ニュースのインタビューにも操作が入ってるかも知れないけど、国が決めてくれないから。みたいな意見もあり、なぜ自分の生活の全てを託しているのだろう。理解ができない。

 

そんなに両親の言いつけを頑なにに守ってきた人間なのだろうか。

そうやって生活してきた人なのであれば頷ける意見なのだけど、そうでなければいよいよ意味がわからない。

 

正解がわからないこのご時世、人としての適切な言動が大事で、1人ひとりの意見がより貴重なものになってきたように感じる。

 

自分の考えの着地を書いたわけではないけど、感想という名の意見は残せたので良しとする。

 

少しずつ、こうして自分の気持ちを整理して、意見をまとめていこう。